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ひとりメシの美学 #01 きつねうどん

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午後2時。街はランチタイムの喧騒から解放されて、まるで深呼吸をしているみたい。

私もようやく、自分だけの時間を手に入れた。

老舗うどん店の暖簾

角を曲がると、見慣れた紺色の暖簾が風に揺れてる。まるで「おいで」って手招きしてるみたい。

…いや、違うわね。私が勝手に吸い寄せられてるだけ。

磁石と鉄みたいに、私とこの店は引き合ってる。

何度来たかしら、この店。数えきれないくらい。でも、飽きない。むしろ、来るたびに好きになる。

暖簾をくぐる。その瞬間、出汁の香りが鼻をくすぐる。ああ、この香り…。帰ってきた、って思える香り。

店内に入ると、カウンター席が空いてる。ああ、完璧…。

今日は一人。それでいい。いや、一人がいい。

「きつねうどん、ひとつください」

注文する声は、思ったより落ち着いてた。心の中では、もう祭りの太鼓が鳴り響いてるっていうのに。

待つ時間という甘美な拷問

厨房から聞こえる、お湯の音。ザザザッていう、麺が泳ぐ音。

この待つ時間がいいのよね…。期待っていう名の前菜を、ゆっくり味わえるから。

周りには誰もいない。気を使う必要もない。

ただ私と、これから出会ううどんだけ。

カウンター越しに見える厨房。湯気が立ち上ってる。あの湯気の中で、私のうどんが完成していく。

職人さんの手つきが、無駄がない。何年この仕事をしてるんだろう。その動きには、迷いがない。

待つって、悪くない。むしろ、この時間が大切。

現代人って、待つのが苦手よね。何でもすぐに手に入る時代だから。でも、美味しいものって、待つ価値がある。

お腹が鳴る。でも、焦らない。ゆっくり、待つ。

運命の一杯

…来た。

湯気が立ち上る丼が、まるで温泉みたいに目の前に現れた。

琥珀色の出汁の海に、真っ白な麺が泳いでる。そして、その上に鎮座する油揚げ。

この油揚げ…。ふっくらと膨らんで、出汁を吸って、まるで黄金色の布団みたい。

いや、布団なんて生ぬるいわ。これは宝石よ。出汁っていう名の魔法をかけられた、食べられる宝石。

湯気が優しく立ち上る。その向こうに見える、艶やかな麺。出汁に浸かって、幸せそう。

ネギも散らしてある。緑色が、色どりを添えてる。シンプルなのに、完璧な美しさ。

箸を手に取る。さあ、始めましょう。

最初の一口は、儀式

まずは出汁を一口。これが私の流儀。

器を両手で包み込む。その温かさが、手のひらに伝わる。冬はもちろん、夏でもこの温かさが嬉しい。

そっと口をつける。

ああ…

これよ。この優しさ。

昆布と鰹節が奏でるハーモニーが、疲れた心に染み込んでいく。まるで、母親の子守唄みたいに。

…いや、違うわね。もっと深い。もっと複雑な味わい。

これは、何度も何度も繰り返された職人の祈りなのね。

出汁って、すごい。シンプルなのに、こんなに豊かな味。何も足さない。何も引かない。ただ、そこにある。

塩加減も、ちょうどいい。薄すぎず、濃すぎず。この「ちょうどいい」を見つけるのに、どれだけの時間がかかったんだろう。

体が、内側から温まっていく。出汁の温かさが、胃から全身に広がる。冷えてた体が、ぽかぽかしてくる。

油揚げという主役

さあ、油揚げ…。

箸で持ち上げると、ジュワッと出汁が滴り落ちる。この音、この光景、何度見ても感動する。

噛む。

…なに、これ。

外はジューシー、中はふわふわ。甘辛い味付けが、出汁の優しさと絡み合って、口の中で花火を打ち上げてる。

これは油揚げじゃないわ。これは、幸せを形にしたもの。

もう一口。また出汁がジュワッと染み出す。この油揚げ、どれだけ出汁を吸い込んでるの。まるでスポンジみたい。でも、スポンジなんて言ったら失礼ね。もっと上品で、もっと美味しい。

甘みと出汁の旨味が、完璧なバランス。どちらかが主張しすぎることもない。ちょうどいい。

このちょうどいい、っていうのが、難しいのよね。簡単そうに見えて、一番難しい。

油揚げを噛むと、じゅわっと出汁が溢れる。その出汁が、また口の中に広がる。永遠に続く、美味しさの連鎖。

麺という白い恋人

麺をすする。

ツルツル、シコシコ。

この喉越し…。まるで絹の道を滑り降りるみたい。

小麦の甘みが、じんわりと広がる。出汁と絡んで、一体になって、私の中に入ってくる。

ああ、なんて素直な味なんだろう…。

何も飾らない。何も誤魔化さない。

ただ、そこにある。

うどんの太さも、ちょうどいい。細すぎず、太すぎず。この食感を生み出すための、完璧な太さ。

麺を噛むと、もちっとした弾力。でも、歯切れもいい。噛むたびに、小麦の風味が広がる。

コシがあるって、こういうことなのね。ただ固いんじゃない。弾力があって、でも優しい。

もう一すすり。また、あのツルツルの喉越し。何度すすっても、飽きない。

ネギが、いいアクセント。シャキッとした食感と、ほのかな辛み。うどんの優しさを、引き立ててくれる。

交互に、何度も

油揚げを一口。麺をすすって。また出汁を飲んで。

このループが止まらない。止められない…。

まるで、終わらせたくないダンスみたい。

油揚げの甘み、麺の優しさ、出汁の深み。

この三つが、口の中で輪舞を踊ってる。どれが主役でもなく、どれも主役。完璧な調和。

周りの音が消えていく。

厨房の音も、外の車の音も、何も聞こえない。

あるのは、私とこの丼だけ。

こういう時間、大切にしたい。

誰にも邪魔されない、私だけの時間。一人だから味わえる、この集中。

完食という別れ

気づけば、丼は空になってた。

最後の一滴まで飲み干して、私は箸を置く。

満足感が、波みたいに押し寄せてくる。

「ごちそうさまでした」

店主さんが、にっこり笑って頷く。この笑顔も、ご馳走の一部。

店を出ると、午後の光が眩しい。

体が温まって、心が満たされて。

お腹も、心も、全部満たされた。

きつねうどん一杯で、こんなに幸せになれるなんて。

シンプルなものほど、深い。

飾らないものほど、美しい。

それを教えてくれるのが、きつねうどん。

さあ、午後の仕事に戻りましょう。

このきつねうどんが、私に力をくれたから。エネルギーをくれたから。

また来よう。次は、いつ来ようかしら。

雨の日もいいわね。寒い日もいい。暑い日だって、冷たいうどんもある。

でも、きっと、また食べたくなる。

そういうもの。きつねうどんって。

何度食べても、飽きない。むしろ、食べるたびに好きになる。

それが、本物の美味しさなのかもしれないわね。


また来よう。きっと、また来よう。


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